🏝️ 第5回:1970年以降の国際観光都市ケアンズの躍進
1970年代以降、ケアンズはオーストラリア北東部の一地方都市から、世界中の旅行者を魅了する国際観光都市へと変貌を遂げました。この時代の発展には、観光インフラの整備、自然資源の活用、多文化社会の形成など、複合的な要素が絡んでいます。
ケアンズ国際空港の開港と訪日客の急増
ケアンズの国際化を決定づけたのが1984年のケアンズ国際空港開港です。これにより、アジア太平洋諸国からの直行便が増え、とりわけ日本からの観光客が急増しました。1980年代後半には、年間10万人以上の日本人がケアンズを訪れるようになり、観光業の中心的市場となりました[1]。
この空港整備により、ケアンズは「オーストラリアでもっとも日本に近い都市」としてブランディングされ、ハネムーンや修学旅行の定番地となっていきます[2]。
世界遺産とエコツーリズムの拠点に
1981年、グレート・バリア・リーフがユネスコ世界遺産に登録されたことは、ケアンズの観光都市化に拍車をかけました。リーフへの玄関口としての位置づけが国際的に確立され、スキューバダイビング、シュノーケリング、クルーズなどのマリンアクティビティが爆発的に普及します[3]。
さらに1988年には、周辺の熱帯雨林地域(クイーンズランド湿潤熱帯地域)も世界自然遺産に登録され、ケアンズは海と森の両方を楽しめる希少な観光拠点として注目されるようになります[3]。
観光インフラの強化と都市の近代化
観光客の増加に合わせ、都市の受け入れ体制も進化しました。1995年には、スカイレール・レインフォレスト・ケーブルウェイが開通し、熱帯雨林を上空から眺める新たなアクティビティが登場[4]。
さらに1996年にはケアンズ・コンベンションセンターがオープン。これは国内外のビジネスイベントや国際会議を誘致し、観光のオフシーズンにも集客できる体制を整える重要な施設でした[4]。
市街地には大型ショッピングセンター(ケアンズ・セントラル)やホテルも続々と建設され、都市機能と観光資源の融合が実現していきます[2]。
多文化都市ケアンズの成立
こうした観光都市化と同時に、ケアンズには多くの外国人労働者や移民が定住するようになりました。日本、韓国、中国、ヨーロッパ諸国からの人々がツーリズム産業や飲食業に従事し、街の多様性が加速します[1]。
アジア系レストランの増加や、語学学校の開設、外国人留学生の受け入れも進み、ケアンズは“多文化共生のモデル都市”としても評価されるようになりました[2]。
まとめ:観光と多様性が融合した都市へ
1970年代以降のケアンズは、自然の魅力を最大限に活かした観光戦略と、多文化社会の発展を背景に、世界中から人々を惹きつける都市へと成長しました。
都市基盤の整備により、観光客の利便性と滞在価値が向上し、今では年間約200万人以上の旅行者が訪れる国際都市となっています。
そしてこれからも、サステナブル・ツーリズムや地域共創を軸に、次の時代にふさわしい発展が期待されています。
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📚 参考文献
Wikipedia – History of Cairns
https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Cairns
Cairns Regional Council – History of Cairns from the 1870s
https://www.cairns.qld.gov.au/experience-cairns/facts-figures-history/history
UNESCO World Heritage Centre – Great Barrier Reef
https://whc.unesco.org/en/list/154
Cairns Chamber of Commerce – 100 Years of History
https://www.cairnschamber.com.au/files/media/original/022/a04/316/CCoC-Complete-History.pdf



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