(Research)ケアンズの歴史(4/5)!

Research

🏝️ 第4回:戦後復興と観光都市ケアンズの誕生(1945〜1970)

第二次世界大戦が終結した1945年。軍事拠点だったケアンズは、その後わずか数十年で観光都市へと大きな変貌を遂げます。この時代は、インフラの復興から観光資源の開発、移民社会の拡大まで、現代のケアンズの基盤が形作られた重要な時期です。

戦後の復興とインフラ整備

戦後のケアンズは、まず都市機能の再整備から始まりました。大戦中に増強された軍需インフラの多くが老朽化し、市民生活には適さないものでした。

1950年代には、上下水道の改修や港湾施設の近代化が行われ、ケアンズ港の浚渫(しゅんせつ)工事によって大型観光船の受け入れも可能になりました[1]。この取り組みにより、観光客を迎える準備が整い始めます。

また、電力供給の強化や病院の新設、小学校・中学校の増設も進められ、住民生活の安定と都市機能の回復が同時に達成されていきました[2]

観光資源の開発とプロモーション

この時代、ケアンズの自然資源を観光に活用する動きが活発化します。特に注目されたのがグリーン島キュランダ熱帯雨林です。

1954年には、グリーン島と本土を結ぶ定期フェリーが就航。これにより、観光客が日帰りで訪問できるようになり、リーフ観光の入り口として人気が高まりました[3]

また、地元の印刷業者であったボブ・ボルトン氏が製作した観光プロモーション映像「There’s A Future For You in Far North Queensland」(1953年)は、クイーンズランド州政府の支援を受け、国内外にケアンズの魅力を発信する役割を果たしました[4]

交通インフラの拡充と観光アクセスの向上

観光客の増加に合わせて、鉄道・道路・航空インフラの整備も加速しました。

1953年には、ブリスベンからケアンズを結ぶ長距離観光列車「ザ・サンランダー号(The Sunlander)」が運行を開始し、東海岸を縦断する観光ルートの中核となりました[2]

また、ケアンズ空港では滑走路の拡張やターミナル設備の近代化が進められ、1960年代末には国内主要都市との直行便も増加。航空アクセスの向上が、観光都市としての成長を加速させました[1]

多文化社会の形成と地域コミュニティの発展

戦後オーストラリアの移民政策により、ケアンズにも多くの移民が定住しました。イタリア系、ギリシャ系、中国系などの移民たちは、農業や建設業に従事しながら、地域に新たな文化的要素をもたらしました。

彼らは教会・コミュニティホール・レストランなどを通して独自の文化を定着させ、ケアンズの街に国際色を加えていきました[2]

この多文化性は、のちの観光振興において「多国籍な都市」としてのブランディングにも活用されることになります。

まとめ:観光都市としての礎が築かれた時代

1945年から1970年にかけてのケアンズは、戦争の爪痕を乗り越え、観光都市としての第一歩を踏み出した時代でした。
この時期に行われたインフラ整備、自然資源の観光化、交通網の拡充、多文化社会の形成は、すべてが今のケアンズに直結しています。

次回の記事では、1970年代以降にケアンズがいかにして「国際観光都市」へと成長していったかを掘り下げていきます。

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📚 参考文献

  1. Cairns Regional Council – History of Cairns from the 1870s
    https://www.cairns.qld.gov.au/experience-cairns/facts-figures-history/history
  2. Wikipedia – History of Cairns
    https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Cairns
  3. Cairns Chamber of Commerce – 100 Years of History
    https://www.cairnschamber.com.au/files/media/original/022/a04/316/CCoC-Complete-History.pdf
  4. Cairns Australia – Cairns History
    https://cairnsaustralia.com/cairns-tourist-information-centre/cairns-history/

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